高校や大学を受験するときに一つの指標となるのが偏差値です。
しかし、その偏差値も毎年一定とは限らず、当然合格状況が悪化している学校や他に進学実績を伸ばしている学校が出てくれば、学校の偏差値が下がってしまうことがあります。
実際に、筆者が10年ほど前に通っていた母校の進学校の偏差値がどうなってるかを調べたところ、なんと72から67まで下がっており度肝を抜かれました。
偏差値が10年で72→67に
まずはじめに、だいたい2000年代末のことになりますが、かつて筆者は近畿でもそれなりになの知れた中高一貫の進学校に通っておりました。
通っていた高校は中高一貫と言っても内部生だけでなく高校入学時に外部生も受験で何名か募集しており、当時の都道府県単位での偏差値は72でした。
しかし、卒業から10年ほど経った現在、母校の偏差値は5ポイントも下げた67になっていたのです。
偏差値が下がった理由は様々考えられますが、やはり自分が通っていた頃と違って、明らかに進学実績が微妙なものになっていたり、校内で荒れた生徒の数が増えてきているなどの情報は同窓会等で小耳にはさんでいただけに、ここまで下がってしまっているのを見ると、一卒業生ながらなんとも言えない複雑な気分になりました。
もちろん、学校の価値が偏差値だけで決まるとは限りませんし、進学実績に受験勉強一辺倒ではなく、もっと学生らしい充実した生活や青春を送ることも大事だという意見もわかります。
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偏差値が下がった原因・背景
母校の偏差値悪化を嘆くばかりではさすがに迷惑な卒業生になるので、偏差値が下がった原因を分析しました。
同地域の私立高校の台頭
近畿地方は「大阪⇔京都」「兵庫⇔大阪」「京都⇔奈良」と鉄道網が充実していることから、他府県の枠を超えて高校に通えるという地理的な特徴があります。
それゆえに、私立の学校は他の県からも入学生を集めるために同じ県だけでなく他府県の高校もライバル視したカリキュラムや実績を作っています。
また、付属の幼稚園・小中学校を各地に作って生徒確保のための競争がここ10年でさらに激しくなったと感じます。
現在の日本は少子化が深刻であるという状況も踏まえると、より学力の高い他府県の生徒を多く・速く囲い込むための競争に負けたために
実際に筆者の母校は国立の附属校だったので、どんどん競争に出ている他の私立高校と比べると、どうしても変化が遅く他の私立と比べると魅力に乏しくなり、偏差値が下がることもある意味仕方がないことだとは思います。
公立・市立・県立・府立高校のブランド化
私立高校以外にもこの10年ほどで公立・市立校に新設された進学クラスの実績が出始めたことで、その高校へ入学する人が多く出て偏差値が上昇しているケースが確認できます。
おそらく知っている人なら知っていると思いますが、今や京都大学の入学者数の数で有名になり「堀川の奇跡」で有名なこと京都市立堀川高校の探求科のように、市立・公立・県立・府立校で新設された進学コースの台頭が目立ちます。
この背景には、「京大などの有名大学に通えるのは私立高校に行けるのは、家が裕福な家庭の子ばかり」という不満の声を受けて、京都市教育委員会による高校改革が実施。
もちろん「進学実績のみを求めるだけの市立高校とは一体何事か」という想定される疑問に対して、学問を探求する学科として受験と学問とのバランスを取り偏差値を上昇させているのです。
そんな市立高校の快進撃に続けと言わんばかりに、他の公立校なども真似をし始め10年前なら見向きもされなかった高校やその高校の学科が偏差値の上位に。
一方何もできなかった母校の国立高校は、相対的に見て受験への魅力が無くなったことで偏差値が下落したのだと分析しています。
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中公一貫校としての魅力の低下
外部入学生だけでなく内部で進学する生徒の質も10年前と比較して下がっているという話をよく聞きます。
これを単純に「自己管理ができない、育ちの悪い子が入ってきた」と個人の原因にして自分を納得させるのは容易いですが、そういった質の低い子が入ってくる背景には、やはり他校と比べて進学に関する魅力が乏しくなっていることも影響していると筆者は考えています。
わざわざ小学生の頃から苦しい受験を乗り越えて中高一貫校に行かなくとも、中学は地元の公立校に行きそれなりに楽しみつつ、中学3年からは気持ちを入れ替えて勉強すればいいというやり方で有名公立・市立校に行ける状況になっていることを見れば、内部進学生も集まりにくいのかなと思います。
一時は中公一貫校が受験に便利ともてはやされた時代もありましたが、それも今や昔の話。中公一貫で同じ人ばかりに囲まれた生活だと、子供の価値観が固定されたりコミュニケーション能力が育たないという見方も出てきているように感じます。
そんなこともあってか、中公一貫校の魅力が以前と比べて下がってきている、あるいは以前は過大評価されていた中公一貫校の評価が妥当なものに落ち着いてきたことで、より客観的に中公一貫校を見る家庭が増えていることも影響しているのではないかと思います。
自由な校風が逆効果に
母校の校風は「生徒の自主性を尊重する」という進学校ならあるあるの校風でした。
なんでもかんでも拘束や規律で縛るような問題のある生徒は滅諦にいないので、自由な校風でも問題ない、というのが自由な校風を続ける上でのキモですが、この自由な校風が逆効果になっているのではないかと思います。
自由さが優先されるために、
- がっつり勉強をしないのも自由
- レベルの高い大学にいかないのも自由
という考え方に陥り、いつしか本当なら自分は上を目指せるだけの学力があるのにも関わらず、自分を過小評価する生徒が増えているのではないかと感じることがあります。
ゆとり世代の特徴なのかもしれませんが、
- どこの大学に行くよりかも、どんな大学何を学ぶのかが大事。
- 偏差値や受験勉強よりも大切を学ぶのが大事。
- 勉強だけでなくコミュニケーション能力や友達づきあいを磨くことが大事。
という考えと自由な校風とが合わさり、あえて自分から勉強する機会を減らしたり、失敗しないようにワンランク下の大学で満足しようとか考える人が出てきているのではないかと思います。
もちろん、進学実績ばかりを気にして無理やり勉強をさせるような校風が絶対だとは言うつもりはありませんが、自由を重視するあまりに「あえて勉強しないのも当人が自由に決めたことだから…」と自分の可能性を狭める土壌になっているのでは、という危機感があります。
また、がっつり勉強をしないという自由さがクラス全体で蔓延して、馴れ合いに走ったり、お互いがお互いに指摘できない関係に陥っていたとしたら…という懸念もあります。
自由な校風は確かに生徒を信頼して自立心を促すにはいいものですが、自由にも限度があり自分たちのためにならない自由な行動をしっかり戒めることができるかは、学生だけでなく大人でも当てはまると思います。