大抵の人にとって新学校の宿題や夏休みの宿題と言うものは非常にめんどくさいものだと感じている事でしょう。
筆者も学生時代はできれば宿題なんかやりたくないと思っていましたが、とは言えやらなければもっと面倒なことになるので、何とかやる気を出る工夫をしてせっせと片付けていたというのが本音です。
しかし、めんどくさいと感じる宿題をよく分析していくと、宿題に限らず日常生活でもめんどくさいと感じることや、あえて面倒になるようなルールや決まりがあるということに何となく気がつきました。
今回はそんな、めんどくさい宿題のあるあるネタをまとめました。
宿題のめんどくささの正体
書き取り、音読などの単純作業の繰り返し
宿題でよくあるのが
- 漢字・英単語の書き取り
- 国語の本の音読
- 算数ドリルでたくさんの計算問題を解く
といった、単純作業の繰り返しのような宿題です。
もちろん、これらの宿題は授業の理解や受験のための勉強を行う上では基本的な土台となりおろそかにしてはいけないものです。
また、漢字や英単語のように暗記が必須になってくる科目であれば、当然何度も繰り返して書き取りをすることそのものが大事だと言う事はとって至極もっともだと思います。
しかし、単純作業とだけあって単調で代わり映えがない、何か新しい発見もなく「やらされている感」が強いのでめんどくさいと感じるのです。
純粋に宿題の量が多すぎる
書き取りや、計算問題等の宿題はとにかく数を多くこなすことが基礎学力向上のためには有効なため、それにし、したがって出される宿題の量も多くなる傾向があります。
しかし、先にも述べたように単純作業は非常につまらないものであり、こなす宿題の量が増えるにつれてめんどくささをより強く感じるのです。
親に見せなければいけない決まりがある
宿題によっては、親や保護者のチェックが要求されるものもあります。
例えば、国語の教科書の音読の場合、宿題をしていないのに音読をしていないのに「音読の宿題をしっかりやりました」とごまかして自己申告するのを防ぐために、親のチェックを必須にして対策をしている事があります。
どうにかして宿題をサボりたい子供からすれば、親のチェックを必要とする宿題は、自分のペースで好き勝手にできる宿題ではないので甚だ面倒に感じます。
また、教育熱心なご家庭の場合なら、手を抜いて音読をしようものならもう一度やらされる羽目になることもあるので、宿題に対するめんどくささをより強くさせているのだと思います。
自分一人で完結しない仕事や作業にめんどくささを感じるように、自分一人で完結しない宿題にもめんどくささを感じているのです。
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宿題の難易度が易しすぎる
宿題の難しさはめんどくささと深く関係があります。
一般的にめんどくさい宿題と言えば、やたらと難しく友達や先輩に聞いてもわからないものを想像しがちです。
しかし、今の自分の実力から見て易しすぎる問題に対しても「こんな単純な問題に時間使うのアホらしい」と言うめんどくささを感じるのです。
特に、塾で塾や予備校で先取り学習をしている人なら、学校の授業は自分にとっては遅すぎて退屈であると感じている人も多くよくも悪くも好奇心を感じない退屈な宿題にめんどくささを感じるのです。
合わないタイプの先生が出している宿題
宿題を出す先生との相性もめんどくささに直結します。
教え方や顔、性格、雰囲気などから「なんとなく苦手やなぁ~」と感じる先生の場合、その先生が出した宿題を見るだけでその先生のことがあって思い出されて嫌な気分になるものです。
工作・製作などの手間がかかる宿題
美術や図画工作、音楽、家庭科、習字などの何かを作ったり専用の道具を使用する科目の宿題は、数学は英語のように普通に問題を解くだけの宿題と違って手間がかかるのでめんどくさいと感じるのです。
例えば習字で書き初めの宿題をする場合、実際に紙に文字を書くという部分だけを見たらせいぜい5分もあれば済みますが、実際はというと
- 墨を擦る
- 筆を整える。
- 半紙を用意する。
- 汚れてもいい服装に着替える。
- 書き初め後の後片付けをする。
- もしも汚れてしまったら、洗って墨を落とす。
などの作業が必要となり想像以上に時間が掛かってしまうことがあります。
これが問題を解くだけの宿題だったら、ノートに書くだけ書いて終わったらそれですぐおしまいなのですが、書き初めは準備と後片付けの2つのめんどくさい作業のせいでめんどくさい宿題という認識になるのです。
なお余談ですが、このことは料理にも言えます。
料理はただ食べるだけでなく自分で作るのなら、準備と後片付けは必須。だるい時だと何か食べなきゃいけないけど、作るのと後片付けが面倒だと感じて出来合いのものばかり食べてしまう…のと似た心理が書き初めにもはたらていると考えることができます。
自由研究のように自由すぎて何から手をつければいいかわからない宿題
夏休みの宿題でお馴染みの自由研究に感じるめんどくささは
- 自由すぎるが故に何からすればいいのかわからない
- 何から取り掛かればいいのかすらはっきりしない
が原因だと思います。
これに関して、心理学者のフロムは、著書「自由からの逃走」の中で、自ら自由を放棄して伝統や権威などの決まり決まったルールに従ってしまうことが人間にはあると述べました。
これは自由研究でも同じで、自由であるがゆえに何から始めていいのかわからないと言う不安に耐えきれず、先送りしたり不安を感じて宿題から逃げようとするのです。
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宿題が面倒だからと言って放置すればもっと面倒になる
宿題は基本的に面倒なものですが、面倒だからと言って放置するければもっと面倒なことになるのは言うまでもありません。
宿題を放置して見たくない現実から逃げ続けても、勝手に宿題が片付いたり、宿題そのものが消えてなくなってしまうわけでは無い事は、おそらく宿題がめんどくさいと感じている人なら誰もが理解していることでしょう。
また、めんどくさいことから逃げ続ける癖がつけば、回り回って学力低下を招いたり、成績悪化のせいで自分が選べる進学先や進路のバリエーションが減ってしまい、知らないうちに自分で自分の首を絞める羽目になっていた…なんて事にならないとも言い切れません。
めんどくさい宿題だからこそなるべく早く片付けて気分をすっきりさせたほうが、実は自分の精神衛生上非常に好ましいことだと思う今日この頃です。
参考書籍