学生さんや若い人を見ていると、授業のないように対して疑問を持つのが苦手だったり、先生の発言を素直に聞きすぎてしまった結果、先生が何か「質問はありますか?」と聞いても、まるっきり反応が返ってこない…と言う場面をよく見かけます。
もちろん、荒れている学校で指導にてこずっている先生や、反抗期真っ只中でなかなか勉強してくれなくて困っている親御さんからすれば、素直な子と言うのは非常にうらやましく見習って欲しい存在のように感じることあることでしょう。
ただし、素直すぎることが災いして、受験以外の勉強…例えば、大学で卒論のテーマを決めて論文を書く、と言うような自分で考えたテーマや仮説を検証し調べてみると言う場面で行き詰まってしまうことがあるものです。
今回は疑問を持つのが苦手と言う人の特徴や背景などについてまとめました。
疑問を持つのが苦手な人の特徴
なんでも素直に聞いてしまう癖がある
疑問を持つのが苦手な人は、よくも悪くも他人やその人が話した話題に対して疑うことができないため、先輩や立場が上の人などの言うことを鵜呑みにしてしまったり、下手をすれば騙されてしまうことがあります。
もちろん、素直に人の話を聞けると言うのは素晴らしいことですが、全てを素直に受け取り過ぎてしまった結果、抱くべき疑問を持てなかったり、話の内容に対して自分の主張を持つことができなくなり議論や話し合いに参加できないと言う事態が起こってしまいます。
コミュ障な気質ともよく似ており、グループディスカッションで話し合いから逃げて、ひたすら聞き役や書記に徹するために存在感が薄くなるということもあります。
特に、大学や社会人生活を送る上では、ひたすら上司や先輩の話を聞いてその通りに行動すればいい…と言うものばかりではありません。
場合によっては上の人から話を聞いた上で、自分なりに考えを深めて意見を述べたり、積極的に提案を行っていく事こそコミニケーション能力の基本といってもいいでしょう。
疑問を持つのが苦手な人は、コミニケーション能力の基本を育てることができないため、暗記や知識に偏っている受験勉強はうまくいくものの、コミニケーションが必要な大学生活や社会人生活で挫折してしまうという事が少なくないように感じます。
自分で考えず、すぐに正解を聞き出そうとする
疑問を持つのが苦手な人の中には、自分で考えることが苦手なためにすぐに知っている人に「この問題の答えは何なんですか?」と聞き出そうとする癖があります。
何でも素直に聞く人と違って、ちゃんと質問してくるだけマシのように感じますが、自分で考えずに反射的に聞くことが癖になっているため、他人の手を煩わせてしまう面倒な人だと思われてしまうことがあります。
また質問する際に、「何がわからないのかわかりません」と言うような、質問を受ける側からしてもコメントに困るアバウトな方法で質問をしてくることが多いのが特徴的です。
何でも聞く前に自分の
- 質問したい内容整理する
- 質問の仕方を推敲する習慣を身に付ける
などを行うことが大事だと思います。
質問や疑問を持つことが恥ずかしいことだと考えている
疑問が苦手な人によく見られるのが、先生や先輩の言ったことに対して質問や疑問を持つことをそのものが恥ずべきことであると考えている人です。
どうして「恥ずかしい」と考えてしまうのかと言うと、過去に学校で先生に質問したことを同級生から笑いものにされてしまった経験や、「授業の質問をしに行くこと=自分は授業の理解が遅くて質問しに行かなければいけないほど頭が悪い人ある。」と、暗に周囲に示していると感じていることが原因だと思います。
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疑問を持つのが苦手だとどうなるか?
没個性的な人になって埋もれてしまう
没個性的とは、個性があるようで実は全くない、話をしていてもどこかで見聞きしたことがあるような印象を受けるばかりで、あまりその人らしい独特の印象が残らないと言うことです。
もちろん、受験勉強やテスト勉強のように擦れやオリジナリティーが求められない場面であれば没個性的であっても問題はありませんが、誰かと友達になりたいとか社会人生活で人脈を築いていきたいと言う場面では周囲に埋もれてしまう恐れがあります。
人間関係において、没個性的になりすぎることで影が薄まったり存在感がなくなってしまうことで、いわゆる「ぼっち学生」になってしまいます。
また「学校での孤立→退学、中退、引きこもり」を招いてしまうこともあります。
レポートや論文作成ができず大学で挫折してしまう
自分で考えられないことが災いして、大学の論文やレポート作成、受験での長文問題や論文問題小論文の作成が苦手になることがあります。
特に難関校志望するのであれば、小論文や面接が受験で必要になる学校もあり、付け焼き刃ではない自分の言葉でコミニケーションをすることがより大事になります。
また、大学の場合は卒業論文が大学卒業のためにも必須となっていることが多いので、卒論作成でつまずき、留年や大学になってしまう人がいます。
コミュニケーション能力が磨かれず社会人生活で苦労する
自分の意見を述べる事は、就職活動における面接やグループディスカッション、社会人生活における会議や商談の場でも必要になってくるスキルです。
そのスキルが磨かれないままでは、自分のキャリアに悪影響が出てしまうだけでなく、普段の生活でもコミニケーションの行き違いによりトラブルを自分からトラブルを起こしてしまう原因になります。
仕事は受験勉強のように自分一人だけで完結するというものではありません。お互いに話し合って協力したり、妥協点を探ったり、意見を交流するなどの共同作業が必要になるものです。
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疑問を持てない人が生まれてしまう背景・原因
一般的に日本の多くの学校では先生から生徒に対して一方的な授業をしており、疑問を持ちなさいと言う教育を受けていないものです。
そんな一方的な授業を受けているからこそ、いきなり大学や社会人で疑問を持てと言われても、どうすればいいのかよくわからなくなって困り果ててしまう人が出てくるのはある意味致し方のないことをだと考えることもできます
学校によっては勉強をする人のことを「ガリ勉」「ええかっこしい」「優等生気取り」「空気が読めない人」と嫌味混じりに言う人が多い学校もあることが、ますます疑問を持てなくしている一因のようにも感じます。
授業後の質問時間というのは、できれば質問もなく早く終わればその分早く休み時間に移れるということもあってか、仮に質問したいことがあっても「空気を読んで質問時間に質問をしてはいけない」と感じている人も多いように感じます。
みんなが早く授業が終わってほしいと感じている中で、それを無視して質問をするという行動は、すなわち集団の空気や和を乱す人だと見られてしまい、いじめや嫌がらせに発展してしまうリスクもあります。
他の友達がどう思っているのか気になる年頃の学生なら、個人の意見を押し殺してでも集団の空気に同調し従うことを優先する癖が原因となり、疑問を持つのが苦手になるということも考えることができます。
また、先生に真面目に質問をしている姿を見て「勉強に夢中になること=ダサい、格好悪い」と考えるている学生は、とくに思春期で社会や親、先生に対して反抗したい盛りの年頃の子であれはよく見られる現象ですが、その頃に受けた同級生からのなにげない一言が疑問を持てなくなる人を生んでしまう原因のように感じます。